波乱万丈な人生 ダイジェスト版
仕事に人生の価値を見出そうとして
新卒入社した会社を退職
3日前、2年間勤めた会社を退職した。
いわゆるブラック企業だったので、心身ともに限界を感じて退職を決めたのだが、辞めて良かったと心から感じている。
ブラック企業に居続けてしまったのは、私が仕事に人生を賭けていたから。
仕事で誰よりも成果を挙げれば、何か人生が大きく好転するんじゃないかと思っていた。
死ぬ気で努力して成果は挙げたんだけど、心身壊してまでやる必要なかったなあ~
なんでここまで頑張っちゃったんだろうな~と思っていながら
久しぶりに今までの人生を振り返ってみたら、改めてやばかったマイライフ。
一から詳細に話すと本が数冊書けてしまいそうなほど長いので、手始めにダイジェスト版でお話します。
波乱万丈な人生 ダイジェスト版
育ての鬱持ち祖母は自殺、その後同じく鬱病持ちの方ヒステリック母親に虐待されながら育った。
殴る蹴るは当たり前。
椅子やお皿を投げられたり包丁突きつけられたり。閉じ込められたり家に入れてもらえなかったり。ご飯もらえなかったり。
これが日常。
その母は不倫して男と家を飛び出し、私は父に引き取られ父子家庭で生きていくことになった。
しかし父は離婚後女遊びをするようになり、帰宅が遅く生活費もあまりもらえなかったので、バイトをしながら家事をして、妹と2人で暮らしてきた。
時給高めなバイトを常に2つ3つ掛け持ちしながら大学へ通った。
それこそ水商売もやってみたり。(ナンバー入りしてたよw)
これが私の人生のダイジェスト(^^)
語ればもっと色々あるけど、数行だけでもインパクト大。
《空っぽの自分》虐待家庭で育つと「自分」がなくなる
体の痛みは辛くない
悲惨な半生を人に話すとよく聞かれるのが「何が一番辛かったか」ということ。
普通に生きてきた方は、日々殴られてきたことや困難な暮らしぶりに着目して「つらかったね」と言ってくれるけど、
人間って適応力高い生き物だから、殴られる蹴られる家事するがルーティンになってしまうと、不思議と慣れて意外と耐えられてしまうものなんですよね。
もちろん全然平気!ってわけじゃないし当然辛いんだけど、そんなことよりももっと辛いのが、その日々が終わった後の生活の方なんですよね。
空っぽの自分に気づく
虐待児は「いかに親に怒られないようにするか」だけを考えながら日々生きている。
母は神様。母から出る言葉は神の言葉。
神の言うことは絶対であり、疑問を持たずに従わなければならない。
背こうものなら断罪が待っている。
そんな生き方していたから、
「自分が本当はどう感じて、何を考えているか」
わからなくなってしまうんですよね。
「本当は自分がどう思ってるか」に気を払う習慣はなかった。
何が好きで、何が嫌いなのか。全部母基準。
母が好きなものが好きだし、母が嫌いなものが嫌い。
だから自分というものが、まっっっっっっったくなかった。
母がいなくなってからしばらくして、空っぽの自分に気づいてしまった瞬間。
それが人生で一番哀しくて辛かった。
《自分探し》自分の頭で考えられるようになりたい
母基準ではなく「自分基準」で
空っぽの自分をなんとかしたくて、母基準ではなく「自分基準」で物事を考えられるようにしようと決めた。
自分の好き嫌いを知り、自分軸で生きる。
そのためには自分を知らなくてはいけない。
本を読み漁り、心理学を中心にとにかく勉強した。
老若男女問わず沢山の人に会って話し、色んな場所へ行った。
やりたいことはやれるだけやってみた。
7年かかって
挑戦と失敗を繰り返し、沢山回り道をして恥をかきまくった。
まーーーー大変だった。笑
ようやく自分基準で生きられるようになったな、と実感できるようになったのは去年ぐらい。7年くらいかな。
今後について
ようやく人生が始まってきたなぁと思う今日この頃。
これからしていきたいと思ってるのは、
・仕事でバリバリ成果を挙げて独立したい
・結婚して平和な家庭を実現してみたい
・読書、映画、アートに普段から触れて感性を大事にしたい(ブラック企業時代にできなかったこと
・自分の好きな自分でいたい
・同じ境遇の人たちと支えあってなんかしたい
こんなところが目標。
色々あったけど、やっぱり人は変われる。
まだまだ成長過程だけど、自分が出来る範囲を少しずつ広げていって、視野をどんどん広げていきたいと思っています。
今後はこのブログでは、今までの虐待時代のこととか、こんなこと考えてたとか、世間とのギャップとかいろいろ書いていこうと思ってます。
明日も自分らしく。
支えてくれる人たちに感謝を忘れず。
ありがとう。ではでは~
,