元ACホステス、コミュニケーション能力について考える(1)
こんにちは、まぴこです。
今回はなんとですね!!
ちゃんとACに需要がありそうな記事を書きます!(いつも書け)
コミュニケーション能力についてテクニックも含めて紹介していきたいと思います。
ACバーの参加者の方からも、プライベートの友人や外国の方からも、
有難いことにコミュ力が高いと言っていただけることが多くあります。
最初に断っておきますが、「コミュ力高い私すごいでしょ!」なんていう自慰記事を書きたいわけではないです。
それなりに私も苦労や葛藤を重ねておりますので・・・。
私自身 学生時代にホステスのバイトやキャンペーンガールをしており、えげつないコミュ力の猛者たちに囲まれてきたのです。
上には上がいて、その暴力的コミュ力の高さで経済を回し莫大な資産を築き上げている方々を知っているので、その猛者たちと比較すると私のそれはお粗末なものにはなってしまいますが( ゚Д゚)
しかしながら、Twitterでアダルトチルドレン垢を設立し毎日AC関連の投稿を目にしていると、対人会話において苦手意識を持っているアダルトチルドレンさんは多いと思わされます。
ちょっとでも楽に考えてもらえたらいいなと思って記事を書こうと思いました><
皆さん重々承知だとは思いますが、コミュ力が高いと得をし、低いと損をすると感じる場面が多いわけです。
だからみんな頑張って対人スキルを磨くわけですが、、、
「コミュ力云々以前にACは他にも乗り越えなくちゃいけないことがいっぱいあるし・・・
ていうか、そもそもこんなに大変な想いをするくらいならいっそ生まれなければよかったのにーーー!!はい、くそーーー!!」
という心の底から叫びたくなるその気持ちよぉく分かります。
ここでね、実際のコミュ力テクニックについて紹介する前に、どうしても言っておきたいことがあるんです。
コミュ力に悩む人に朗報です。
そもそもこの現代において、
高いコミュニケーション能力って、なくても別に生きていけます。
そう、コミュ力って生命維持において必要不可欠ではないんですよね。
だって、今普通に生きていられるじゃないですか。
「あなたは会話が下手なので、義務教育を受ける資格はありません。」
とかないじゃないですか。
~民法第222条~
コミュニケーション能力が著しく低く、周囲に不快感を与えるとみなされた場合、
すべての社会保障制度の受給資格を剥奪する。
っていう法律もないじゃないですか。
飲食店の看板にも「※コミュ障お断り」なんて記載ないし。
「あ~ちょっと悪いんだけどね、君話してて面白くないから、賃貸契約はあきらめてくれるかな。」
とかないじゃん。
コミュ力なくても衣食住満たせて、生命は維持できるんですよ。
勉強もできるし、こうやってブログも読めるわけです。
これ当たり前のことなんだけど、すごいことだと思いませんか?
コミュ力って生きていくのに必須スキルじゃないんですよ。
だからまずね、一旦冷静に考えよう。
対人スキルがなくてもこの社会を生きていけるし、あなたは堂々と生きていていいんですよ。
例えば一昔前の黒人奴隷時代なんてさ、抜群のコミュ力があってたところで
肌の色が違うという理由だけで衣食住すら難しかったわけじゃないですか。
そう考えると現代日本って素晴らしいよね。
コミュ力だテクニックだなんだの前にね、まずはなくたって十分立派に人として生きていけること、それを思い出していただきたい。
テクニック書く前にこんなに長くなってしまった~!!
長いので分けて書きますね。
つ づ く
第5回 ACバー
こんばんは!まぴこです。
7/14から始めたACバーも半年が経過し、めでたく5回目の開催となりました。
参加者は5名!
最初はおもてなしスタイルで開催していたACバーですが、だんだん各々が得意なお酒や料理を作るようになり、みんなで作り上げていく形に進化していきました。
料理サークルになりつつあるACバー。笑
アダルトチルドレンの集まりに おされフレンチ、、!?笑
え、これはなんぞや、、、(怯
そして昼から来てくれていた参加者の1名が途中で抜けて銭湯に行き、一風呂キメて夜戻ってくるというフリーダムさww
みんなが自由に意見やアイディアを出し合って、みんなが主役になれる、そんな場所になってきたのかなぁと思います。
会の中でアドラーの「嫌われる勇気」の話が度々登場したのですが、幸せのために必要なのは「貢献感」とアドちゃんは言ってます。
もっと皆がそれぞれの得意や好きを持ち込んで発揮出来たり、自分を解放できる場所にしていきたいなぁと思います!
歌ったり演奏したりできる環境も理想やなぁ、、
ではでは!
選択と意思決定力
世の中には様々な一見相反するように見える主張が存在する。
「それどっちやねん」と叫びたくなるような 矛盾している名言が蔓延っている。
自分の考えで生きろと言われたかと思えば、長い物には巻かれておけと言われる。
いかにして生きるべきかという問いに絶対の解はないからこそ途方に暮れる。
絶対の解はないこの世界で、自分で選んだ道を正解だと胸を張って言えるような生き方をするしかない。
どこかに正解が転がってるわけじゃない。
どこかのルートが正解なのではなく、どのルートを選ぶか という 選ぶ力を磨くのが大事なのかなと最近思う。
ではではー
愛情の赤字がAC 愛情の黒字体質になる
こんばんは、まぴこです。
今日はツイートのまとめに軽く補足をします(手抜き
皆さんお金の使い方に自信はありますか。
(私は下手な方です笑)
収入が増えたり 貯金が多い時って精神的に安心しますよね。
それなりに自分が無理せず出来る範囲の仕事で定期的にある程度の収入が入ってきて、友人の結婚式が重なったり事故など急な出費があっても 問題なく支払えるだけの余裕があると、何となく生きていて安心しますよね。
しかしこれが
健康を害するほど身を削らなければ安定収入が得られない、急に交通事故に遭っても入院費や車の修理代が払えない...
となると 相当なにも考える余裕なくなりますよね。
貧困地域と犯罪率に相関関係があるのは常識ですし、金持ち喧嘩せずという言葉もあります。
愛情とか自己肯定感もこれに似てるなぁと思いまして。
ありのままでいるだけで親からの承認という定期収入があり、その積み重ねという愛の貯蓄があれば精神的な自立が確立されるのは当然。
普通の人は親から沢山愛情を受け、その豊かな愛の資産をもって社会に出るから色んな事に立ち向かっていくことが可能になります。
しかしながらACは親の愛情という収入がなかったどころか搾取され続けて育つわけで。多額の借金を背負わされた状態で放り投げられるようなもの。大赤字からのスタート。黒字化は困難を極める作業。そりゃ生きづらいです。
愛の負債を埋めるべく、他所から借入をしようとしてしまうのは自然の流れ。
他人からの承認であったり、物や行為への依存という借金。
まだ返済可能なものは借金と呼べるが、人への過度な束縛や暴力になると窃盗。
貧困も極まれば盗みに走るのは自然の摂理。かなしい。
愛情の黒字体質になることがACを乗り越えることだと思っていて。
自らの力で稼ぎ自らを養えることが心の黒字状態。貯えを作る余裕を持つことで 他者と良い関係を築くことが可能になる。
そう考えると「まずは自分を幸せにしましょう!」が腑に落ちる。
大赤字の中で何とか他者に与えようと資産を限界まで切り詰めた人が、破産=うつ病になるのだと思います。
これは盗みに走らずまっとうな道を歩むことを選んだ証拠。偉いですほんと、、。
カウンセリングなり休息なりで何とか捻出した利益を、自己肯定感に少しずつ投資して増やしていくことが、生きづらさ解消のイメージかなと思っています。
親から無慈悲にも多額の借金を背負わされてしまった 愛情の貧困層がAC。
少しずつ返済していこう。
そして借入や盗みをはたらくことなく、自分で自分を豊かに出来る愛情の黒字体質になろう。
ではでは
今年の目標は「バランス」
こんばんは!まぴこです。
前年は「信じる」を目標に、自分の可能性を信じて色々なことに挑戦する年でした。
結果としてやれば出来るという自信や、フットワークの軽さ、「〜だから出来ない」ではなく「〜すれば出来る」をオートで考えられるマインドは身に付いたかなぁと思っております。
しかしながらですね、余りにも行動量を優先しすぎてかなり生活の色々な時間を削っておりましたw
インプット量が減ってしまったり、趣味の時間が確保出来なかったり(笑)
仕事を頑張ってきたことに対しては後悔していませんが、人生の楽しさは仕事のみにあらず。
読書を通して新たな語彙を獲得したり知見を広げたり、
色々な音楽や絵画に触れたいし、友人との時間を大切にしたいし、
とにかく余裕を持ちたいです(泣)
そう、健康を私は犠牲にして働いているのであります。
今はまだ若く体力もあり無理がききますが、20代後半から体力も落ちて行動出来る量も限られてくると先人たちから聞きます。
私も今の作業量をこのまま永遠に続けるのは無理だと感じてきております。
大切な時にパフォーマンスを最大限発揮するためにも、
健康をはじめとして余裕を大切生きてゆきたいと思いますw
今年は「バランス」をテーマに、健康をまず第一に・・・笑
実力を試したかった前年
こんばんは、まぴこです。
先日誕生日を迎え、20代も後半に突入いたしました。
アラサーだ〜!!笑
前年は仕事にフルコミットした年、
自分個人はどこまで社会で通用するのか?を試したい欲があった。
自分の腕試しをしたいと思うようになったのは、前職で働いた時に感じた疑問を解消したかった。
「まず入社3年は何も考えずに命令に従うべき」といったような古い考え方や、保守的で年功序列、出る杭は打たれるといったような風潮がとても嫌だった。
私は誰よりも努力して学び、働いているという自信があった。
なぜ理不尽な事を言われ耐えなければならないのか?
なぜ正しい事をしているのに否定されなければならないのか?
なぜ上司はこんなにも責任転嫁が多いのか?
なぜ自分の立場を守る事ばかりを考えて、お客様の事を考えないのか?
正義感が強い(強すぎる?)私は、典型的な日本的企業体質に我慢がならなかった。
私の人生経験の浅さ故に理解できていないだけなのか、それともやはり上司の言うことは理不尽なのか?
前職で我慢した分、それがバネになり自分の実力を高めて多方面で挑戦をしたいという想いは日に日に増していった。
結局前職では多忙さと理不尽さから適応障害の診断が下りドクターストップに。
「会社の看板に頼らず、私が持っているスキルや知識は世間に求められるものなのか?」
が知りたくてベンチャー企業へ転職。
激務ではあるものの、何も考えずとりあえず前例に従うのが嫌、という不満は解消された。
他にも 自分の実力を試したくて、出来ることは何でもやってみようと他にもチャレンジ。
仕事としてはフリーで声の仕事をやったり(声と話し方を褒められることが多かったのでこれで稼げるか試してみたかった)。
仕事ではないですが、アダルトチルドレンに向けたバーを運営してみたり(ACの苦しみは対話でシェアすることで緩和され克服に繋がる、は万人に当てはまるはずだと思った)。
ヒッチハイクで旅をしてみたり(コミュ力が高いと言われるので、じゃあヒッチハイク出来るかもと思った)。
やったことないけど「これも出来そうだな」と思うことは時間と体力があれば実践してみる、ということをしてみた。
そして一番検証したかったこと、上司から言われていたような言葉たちは、やはり(私の場合は)気にしなくて良かったとは思った。
でも飛び込んでみて自分の甘さも思い知り、良かった反面上司に指摘された自分の欠点もわかった。
仕事はこの世に無限にある。
もし合わなければフィールドを変えればいい。
大事なのは自分の適正ややりたいこと、どんな環境を望むかを自分で把握出来ていることなのかなぁというのが今の結論。
しかし、大事なのは ただ嫌だ嫌だ とわがままを言うのではなく、その自分のわがままに責任をもつだけの実力を付けること。
今は前職で働いて良かったと思ってる。何が嫌か分かりましたし。
今年は「やれば何でも出来る!」という自信と行動へ移す速度が飛躍的に上がりました。
同時に自分の限界値も見えてきた。出来ないこと、世の中には凄い人が沢山いて到底叶わない人がいっぱいいることも。
今年は手を広げすぎていっぱいいっぱいなので、来年は本当にコミットしたいことに絞って余裕を持って行きたいです(汗)