やたらと明るい被虐待児〜ACを乗り越えて〜

生い立ちなんてぶっとばして明るく生きろ。毒親の虐待・機能不全家庭育ちの影響でAC(アダルトチルドレン)に。現在は克服し生きやすくなりました!

AC"回復"という言葉に対する違和感

こんにちは、まぴこです!

 

第1回、第2回でもACバーでよく聞かれるのが

「ACをどう克服されたのですか」

「ACからどうやって回復されたのですか」

といった質問です。

※聞いてくれた人ありがとうm(__)m

 

 

確かに私は現在AC(アダルトチルドレン)由来のトラウマにとらわれる事はほとんどなくなり、昔と比べてとても生きやすくなりました。

 

しかしこの「回復」という表現に何か違和感のようなものを感じて、考えさせられたので私が思うACの克服について書いていきます。

 

 

 

「回復」という言葉を聞くと、病気(=異常状態)から健康(=正常状態)になるというイメージ。

AC(アダルトチルドレン)要素の病原菌を、何かしらの方法で自分の身体の中から消去し、一般人(=健康状態)にするという印象を受けます。

 

しかし「ACの生きづらさから脱却する」ってそういうことではないと私は思っています。

自分の性格を「ふつうの人」に矯正することではないのかなと。

 

 

AC(アダルトチルドレン)ゆえの生きづらさを自覚し、自分の人生と真摯に向き合って、人生の手綱を自分で握れる・それを実感できている状態がいわゆる「克服」だと思っています。

 

例えば一般家庭に生まれた人であっても、自分の性格や容姿・能力については悩むだろうし、恵まれた家庭に育っても生まれ持った性質を変えるのってなかなか難しいことだと思うんですよね。

 

何かが出来るようになったり、大量の知識を身につけてみても根本的には変わらないと思っています。

 

何かのモデルに自分を矯正するのではなく、自分自身を受け入れて自分の幸せの為の選択が出来るようになることがいわゆる克服なのかなと思います。

上手く言語化出来ぬ・・・!笑

 

だから「回復」という言葉は適切ではないなと思っています。

 

「回復」というよりは「アップデート」「バージョンアップ」。

白の魔法使いが白魔道士になるがごとく(FF)。

ポッポがピジョンになるがごとく。

 

ポッポはピカチュウイーブイにはなれませんが、ピジョンピジョットになって大空を飛ぶことが出来ます。

AC(アダルトチルドレン)は誰よりも優しい人が多いと思っています。

 

最近は「発達障害」が話題になっていて、彼らが持つ圧倒的集中力や高い創造性が注目されています。

 

AC(アダルトチルドレン)は、毒親のせいで持たなくてもよかった優しさや強すぎる責任感を持ってしまいましたが、どうせ生まれてしまったのならその要素をその後の人生で活かして、誰かを幸せにできればいいなと思います。

(もちろんACは次世代に繰り越されるべきではないですが。)