やたらと明るい被虐待児〜ACを乗り越えて〜

生い立ちなんてぶっとばして明るく生きろ。毒親の虐待・機能不全家庭育ちの影響でAC(アダルトチルドレン)に。現在は克服し生きやすくなりました!

母から受けた虐待《平均的な1日》

 

母から受けた虐待の記録

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このブログのタイトル通り、私は被虐待児である。

生まれてから15年間母から虐待を受けて育ってきた。

いわゆる毒親の元で機能不全家庭の中で育ち、その後の人生でマトモに暮らせるようになるまでに色々苦労を重ねてきた。

 

母から受けた虐待の記録と、私がどんな気持ちで生活していたか、そして母がいなくなってからの生活を数回に分けて振り返って書いていこうと思う。

もし似たような境遇の人がいらっしゃったら、分かち合っていけたら幸いでございます。

今回は手始めに虐待時代の平均的な1日を書いていきまーす!鬱になる準備はOKでしょうか?笑 それではスタート!

 

虐待児の平均的な1日

暴力を受けていた時の私の毎日の生活。

これは物心ついてきたあたり~中学校卒業までの平均的な日常。

毒親の元で育つとはこういうことだ!

 

7:00 起床 恐怖の始まり

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まず母の本日の機嫌からチェック。

ここで機嫌が悪かったら怒号が飛んでくるところから1日がスタート。

「あたしはお前らの家政婦じゃない」「なんでこんなことしなきゃいけないの」

朝食や洗濯・掃除について一通り不平不満を大声で叫んでいる音をBGMに朝が始まる。

「私が悪いのかな」と罪悪感を抱えてビクビクしながら朝食。

いただきますがなければ殴られるのは当然だが、「美味しいね」と食事に対して賛辞の言葉がなければ「人が作ったものをマズそうに食べやがった」と食事没収後、皿を投げられる。

運が悪ければ家事炊事は自分で行うことになり、出かける前に「お前らのせいで私はこんなに大変だ」となんやかんやで殴られる。

 

8:30~16:00 学校 授業だけが救い

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辛い朝をようやく乗り越えて学校へ。

虐待を受けていた頃は、家庭の影響で周囲の目をかなり気にする性格だった。

だから常に周りの機嫌を気にしながら生きていた。

私は無理やり明るく振舞って、とにかく盛り上げなきゃ!と謎の使命感を負うタイプに成長。

友人関係でも精一杯気を使い、ここまででかなり精神的疲労。

授業中が一番心休まる時間で、救いの時間だった。楽しんでいたからか分からないけど、成績は結構良い方だった。

帰宅の時間が近づくと母の機嫌が気になってきて、動悸がしてくる。

 

16:00 帰宅 再びの恐怖

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家事を手伝わないと母の機嫌が悪くなり殴られてしまうため、友人の遊びの誘いは断って直帰することが多かった。

「今日は自分はどうなってしまうんだろう?」

緊張と恐怖で震えながら玄関のドアを開ける。

 

帰宅後すぐに洗濯物を取り込み、たたむ。

お風呂を掃除して沸かし、食事の準備に入る。

 

この時スピードとクオリティどちらも両立させなければいけない。

 

どんなに綺麗にお掃除しても時間がかかると「時間かけすぎ、こんなんだったらあたしがやった方が早いから意味ない。意味のないことはやらないで。」と怒鳴られる。

早く終わっても雑であれば「テキトーにやるんだったらやらなくていい。余計な仕事増やすな。」と怒鳴られる。

やらないと余計に怒鳴られる。

 

毎日頭をフル回転させて、家事のクオリティとスピードを高めるために鍛錬。

 

だがどんなに質の高いことをこなしても、要求は高くなるばかり。

「どうせだったらここまでやってくれてもいいのに。」

「私があなたぐらいの年齢の時はこれもできた。」

「簡単な食事の用意くらい全部自分でできるでしょ?」

 

掛け算の九九を覚える頃には、最低限自力で家事はできるようになっていたと思う。

やらなきゃ殴られる。怒鳴られる。

 

19:00頃 恐怖の夕食

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食事の準備を終えると恐怖の夕食が始まる。

まず母の食事に対して賛辞の言葉を述べなければいけない。

「おいしい」だけではだめ。どんな風においしいのか、こだわりのポイントを見つけて的確に褒めなければ「わかっていない、テキトーなこと言いやがって」と怒り出し、食事は皿ごとまるっとごみ箱へ。

もちろん残すなんて論外だ。接待みたいなものである。

 

食べるのに時間をかけてはいけない。

「食べるのが遅い=まずいから時間がかかっている」と彼女は判断するため、10~15分以内には最低でも食事を終えなければいけない。

 

接待にしくじれば、殴られる。

熱湯を頭からかけられたり、椅子や皿が飛んでくるのは普通。

 

20:00 自分の時間(機嫌維持時間)

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ここまでで母の機嫌が良ければその後ゲームや読書をすることが出来るが、それもいつ爆発するかわからない爆弾の様子を見ながらのゲームになるので、リラックスして遊べることはあまりなかった。

機嫌が良いときでも、率先して母のご機嫌取りをしないとすぐに機嫌を損ねてしまうこともあるため、様子を見ながら自分の行動を決めていく。

 

機嫌が悪ければ、なんだかんだと理由をつけて屋根裏部屋に閉じ込められたり。

片付けをしないという理由で傘で叩かれたり(傘が折れるまで続けれられる)。

服を椅子にかけっぱなしにしようものなら、包丁で服をずたずたに引き裂かれて、のど元に包丁を突き付けられ「今度同じことしたらこれと一緒になると思え。私のことはよく知っているだろう?」と脅迫される。

 

夕食後すぐに勉強できる日は幸せだった。

母の機嫌がよくない日は、母と会話して接待してなんとか楽しませなければならない。

勉強時間も落ち着いて確保することが難しかった時代だった。

 

22:00 就寝 今日も生き延びた

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お風呂に入って速攻でベッドに入る。「早く寝てくれる=私 子育てうまくいってる!」と認識してくれるので、早くベッドに入れる環境にいられたのは幸いだったかもしれない。

早めにベッドに入り読書をするのが1日の中で唯一の楽しみ。

本は自分をどこへでも連れて行ってくれる。誰にも支配されない自由な世界。

 

殴られたところを擦り、泣きながら眠りにつく。今日もなんとか生き延びることが出来た。

明日こそは、完璧にやろう。怒られないように完璧に!完璧に!

私が寝る時間に父は帰宅する。きっと何も知らない。

また翌日から恐怖の日々が始まっていく。。。

 

 

振り返ってみて

思い返してみてざっと書いてみたけど、今思うとやばすぎる。

本当にこんな生活が平均的な1日で、毎日緊張しながら生きてた。

「今日、もしかしたら死んでしまうかもしれない」という恐怖心を抱きながら生きていたので、解放された今はパラダイスですよ。

 

次回はこんな生活を過ごす中でどんな性格になっていったか書いていきます。

 

今日も支えてくれた友人と、仕事があることに感謝。

ありがとう、ではでは~

 

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